秋と言えば、恒例の"山城サミット"ですね。
第25回今年の開催地は、島根県の安来市です!
ちょうど今年の5月に山陰を旅して、隅々まで回ったばかりですが、 今回は"5年に1度の尼子フェスティバル"があるということで、1泊2日の弾丸旅行に行ってしまいました。
安来市の月山富田城は日本100名城の一つでもあり、日本3大山城(一説は5大山城)に入っているだそうです。
「少々整備しすぎ!」とも思いますが(決して悪い意味ではありませんよ)、戦国の城と近世の城が共存する稀有な城で、歴史価値がとても高いです。
何しろ、安来市広瀬町には戦国関連の歴史スポットが多数点在していて、ロマンが詰まっているまちです。
特に、私が好きなのは山中鹿介のゆかりの地です。
なぜ山中鹿介を好きかと言えば、やはり「悲運な英雄」のところですね。
「こんなに運が悪い人は見たことがない!なぜすべての不幸がその人に訪れるの?」と最初に彼の年表を読た時には心の中で叫びました。
しかし、彼は一度も諦めず、自分の信念を最後まで貫き通しました。
山陰随一の覇者である尼子経久公の戦略や知恵溢れるところも素敵ですが、山中鹿介のこういった強くて、真っ直ぐな生き様が眩しいです。
JR安来駅に着きました。
この施設はJR西日本初の木造合築施設との事です!
昔の安来駅は、山陰本線の主要駅でありながら夜間には無人になるのだそうです。
人々が集まり、交流できる場所に変えていくために、今のようなおしゃれな施設ができました!
構内はとても広くて、お得なお土産を買える観光交流プラザ「アラエッサ♪YASUGI」や、休憩スペース、観光インフォメーションセンターなどが揃えています。
山城サミット関連のチラシが置いてありますね。
ここしか買えない記念切手も発売されているので入手しました!使っている写真が素晴らしいです!
ちょうどこの時期、月山富田城と清水寺に行く観光特別バスもあり、しかも無料です。
普段バスの本数が少ないところでもアクセスしやすくなりますね。
また、待合室には安来関連の歴史や旅行書籍が置いてあります。
特に最近ブームになっている山中鹿介のものが多くて、さすが人気モノです。
ここの普通電車は1時間に一本の時もあるので、地元の歴史などを紹介する本があると、助かりますね。
今回は尼子フェスティバルに合わせて無料バスも出ているので、さっそく広瀬町の会場に移動しましょう。
朝の始発バスから既に長い行列でびっくりしました。
安来のコミュニティバスは、ほとんどこのイエローバスです。繁忙期は、いろいろなイエローバスがこの駅に集まっていて壮観です!
約30分後到着ー!
遠くから月山富田城の遺構がよく見えます。これも、木がよく伐採されたおかげです。
日本の山城の多くは、木が伐採されていないので、遠いところから見ると、城跡が全然見えなくて、単に山に見えます。時間が経ち、木の根が成長し、石垣が崩れてしまいます。
自然保護も大事ですが、史跡のために、適切な整備も大事ですね。
城の下にはたくさんのブースが並んでいて、とても賑やかです。早く行かないと、何か売り切れそうな予感がするので、急いで移動しましょう!
まずは、今回フェスティバルの主人公である、尼子経久公の銅像で一枚。
ちょうど背後に月山富田城が見えます。「いざ、ゆけ!復興の道!」の感じですね。
標高197mのこの城は山陰覇者である尼子氏の本拠地であり、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台でした。
天然の地形を利用した、最も難攻不落の要塞城といわれたこの城をめぐって、大内氏や毛利氏に 数多く攻防戦が行われ、最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされました。
その後、吉川広家の改修と堀尾忠氏の改修に経て、元和元年(1615年)「一国一城令」により廃城されましたが、 戦国時代の遺構も近世の遺構もある程度確認できるのがこの城の醍醐味です。
まだ時間がありますので、先にお墓参りに行きましょう。
近くの洞光寺には尼子清定・経久公のお墓があります。
やや高台にあるお墓は、真正面に月山富田城を望むように配置されています。
お二人がここから、いつも月山富田城を見守っているようで胸が熱くなります。
会場に行く途中、山中鹿介の川中島一騎討之碑にも寄りました。ここで山中鹿介幸盛と棫木狼介勝盛が一騎討ちをし、鹿介が見事に勝ちました。
永禄8年(1565年)第2次月山富田城の戦いの時、富田城は毛利に包囲され、尼子氏が籠城し、城内の食糧も窮迫していたこの時期に、狼介は鹿介に一騎討ちを挑みました。
棫木狼介勝盛は毛利元就の武将石見国益田七尾城主藤包の家臣であり、元の名前は品川大膳でしたが、この一騎討ちのため名前をわざわざ縁起の良い「棫木狼介勝盛」に変えました。
棫木狼介勝盛
↓ ↓
山中鹿介幸盛
春先に鹿が棫木の芽を食べると角が抜け落ちると言う話があり、そして鹿を喰らうために狼、幸盛に勝つ盛など、勢いを込めた名前ですね。
しかし、この一騎打ちは鹿介の見事な勝利で終わり、味方の士気も高めました!鹿介、なかなか素晴らしい!
ゆっくりとメイン会場に移動っ!安来市立歴史資料館の前にいろいろな地元の物産品が販売されています。安くて美味しいものがたくさん!
中を少し回ってみましょう。瀧秋方氏が書いた山中鹿介の画像もありますね。イケメンですね。
資料館の外に、尼子氏の法要が終わって、武者行列が始まりました。
先陣で歩いているのは、「尼子十勇士」です!その中で人気があるのはやはり山中鹿介ですね。
続いては姫武者を演じる歴ドルの小日向えりさんです。
近江尼子武者隊や、堀尾吉春公ゆかりの松江武者応援隊など、尼子氏や月山富田城に関連する全国各地の武将隊も来ています。 総勢300人を超えたそうです。
(もちろん、尼子氏と敵対していた毛利家や大内家関連の武将隊は来ていないです。)
実は、尼子氏は元々京極氏の分家であり、使っている家紋も京極氏の平四つ目結です。隣の滋賀県の出身です。
室町時代にこんな遠いところに下向してきて、本当にお疲れ様でした!
また、来年山城サミットの主催地である岐阜県可児市は既にプレ企画を始めています。
最近話題になっている森蘭丸や明智光秀も出ています。使っている絵柄はなんと、『センゴク』の宮下英樹先生の絵です!
「きんか頭」と呼ばれる光秀さんがさらさらな長髪を持っている(悪そうな)イケメンになっていますね。
ここですごい自販機も発見しました!鹿介、かっこいいです!!
申し込んだ午後の現地見学会にはまだ余裕があって、今回は月山富田城の北側の新宮谷に行ってみたいです。
あれ、ちょうどスタンプラリーをやっているらしい!スタッフからスタンプ用紙をいただきました。
このコースは普段人影が見えないので、一人で行くのは心細いのですが、一緒に行く人がいると楽しくなりますね。
でも、その前に!...
「あの、このスタッフ用のTシャツがめちゃくちゃかっこいいですね。販売されていないのですか?」と、勇気を出してスタッフさんに聞いてみましたが...
どうやらスタッフ専用だそうです(写真撮らせていただきありがとうございます!)...ああ、商品化して欲しいです。
雲龍山城安寺→山中鹿之介生誕地→新宮党館跡という45分コースを歩いてスタンプを集めたら、景品としてお米をもらいました!
また、途中では無料のいのしし汁と戦国かゆの振る舞いもあります!
暑かったのですが、何度も薦められたので、いのしし汁を1杯頂きました。
「どうですか?」と聞かれて、「こんなに美味しいもの、食べたことがないですっ!」と答えたら、地元の方々が爆笑しました。
メイン会場に戻ると、ちょうど市長の開会宣言が始まっています!
馬まで出ました!「昔の乗り物」と後ろの「現代の乗り物」が一緒になって、なかなか微笑ましいです。
岡山鉄砲隊の演舞です。弾が入っていないですが、音だけでも怖いです!戦国時代はそういうものに撃たれるんですね...
さて、そろそろ現地見学会に移動します。
今回私が参加するのは6班ですが、合計10班もあるのだそうです。200人ぐらい参加しているのことです!
富田城は3つのルートがありますが、どれも必ず山中御殿に経由する構造になっています。
16人のチームで出発っ!この高さは私にとって余裕ですね~
千畳平から見る会場です。
上から、馬乗馬場を俯瞰できます。
太鼓壇の山中鹿介の銅像です。
鹿介が三笠山にかかる三日月を拝して、「願わくは我に七難八苦を与え給え」と祈ったという逸話がありますが、この銅像の向きはまさに三笠山です。
山中御殿から見た七曲りと三ノ丸です。このルートで登りますよ!
昔の七曲りの姿でした。今と全然違って、草ぼうぼうですね。
正直、初めてこの整備後の道を見た時、「きれいすぎで昔の城とは違うっ!」と騙された気持ちがいっぱいです。 地元でも賛否両論と聞きましたが、足が悪い人にとって、整備された道は歩きやすいですね。
今日は天気が良く、日本海まで見えます!(地平線の所に)
三ノ丸から見る城下町です。いい景色ですね!戦いの時も、周囲の状況をよく確認できる構造ですね。
本丸から見る二ノ丸です。
昔深い空堀がありました。今はちゃんと歩くルートと階段がありますが、昔はそういうものが全くなかったので、敵軍がなかなか本丸にたどり着けない構造ですね。
本丸には山中鹿介記念碑もあります。この記念碑は明治時代に建てられたものです。
現地見学会が終わってそろそろ帰りますが、ここでは少し近くの他の戦国スポットを紹介します。
まずは城の麓にある尼子興久のお墓です。
興久は経久の三男ですが、後ほど父に反乱を起こし、自害して一生を終えました。興久の人生も感慨深いものですね。
尼子氏の内部反乱は止まらず、やはり毛利氏のように兄弟、親族が一致団結できなかったから滅んだんじゃないかと思います。
また、近くの巌倉寺には月山富田城最後の城主である堀尾吉晴のお墓があります。
その隣に、伝堀尾吉晴の妻が建てた山中鹿介の供養塔があります。
因みに、その日の夜は隣の大山の大山寺献灯祭に行きました。
昼の大山も夜の大山も、晴れる大山も雨の大山もとても情緒があるところですので、時間があったら是非訪れてみてください。
山陰の秋の夜は、大山や松江に多くのイベントがありますので、ぜひ見逃しなく!
二日目の会場は室内に移りました。おしゃれな安来市総合文化ホール アルテピアです!
入場の列がすごいです。今年は1300人が参加しているのだそうです。
ホール外には山中鹿介や堀尾吉春、そして月山富田城の写真が展示されています。
サミットの内容はいつものように、
予約した幕の内弁当を食べながら、ホールで楽しく鑑賞しました。
ちょっと普段の「幕の内弁当」のイメージと違いますが、このお茶付きのJAバージョンお弁当は700円しかかからないです。とってもお得ですね。
来年のポスターも既にできていますね!
来年の開催地は愛知県にとても近い、岐阜県可児市です。
可児市の美濃金山城は続100名城に選ばれています。本能寺の変で織田信長とともに討たれた森蘭丸はこの城で生誕しました。 また、ここは春になると、中部地方で有数なお花見スポットになります。
他に、明智光秀が生まれた城と言われている明智城や、美濃守護土岐氏の庶流である久々利氏の居城久々利城、 そして金山城主森長可の家臣の奥村又八郎元広の居城大森城、小池家継の居城今城など、素晴らしい遺構が残されている山城がたくさんあります。
普段でもイベントがたくさん開催されていますので、いつでも遊びに行けるし、来年のサミットはどうなるのか、楽しみですね。
少し早めに会場から抜け出します。
ちょうど現在、山陰デスティネーションキャンペーンがありますので、観光特別便で清水寺に行ってみます!
...って、すごい派手なバスですね!(拍手)私も、生きている間に山中鹿介の大河ドラマが見れたらいいなぁと思います。
ここには尼子十勇士の絵馬が奉納されているので、拝観して今回の旅を締めます!
せっかく安来にきたら、近辺の私のおすすめの城を紹介します。
今回はなかなか回る時間がなかったですが、5月に来た時は一通りに回りまして、やはり草がある山城が多く、虫対策をしっかりするのがおすすめです。
今回唯一回れたのは、安来市から一駅の米子市にある米子城です。
朝6時の光景がとても神々しいです。
駅から徒歩でいける米子城は続100名城に選ばれています。 吉川広家と中村一忠により築かれて、昔は稀な2つの天守がありました。
高くなく歩きやすいお城ですので、今は市民公園みたいな場所です。壮大な石垣群がすぐ現れ、初心者でも楽しめるお城です。
ここからみる鳥取のシンボル、伯耆富士とも呼ばれる大山はとても美しいです。
同じく米子市にある尾高城は初心者にとって少し分かりにくい城ですが、 今回山城サミットの前日には米子城・尾高城のツアーも開催されたので、ここでも少し紹介します。
尾高城は尼子氏と毛利氏の攻防戦がくりひろげられた古戦場のひとつです。
山中鹿介が尼子再興の時、吉川元春に捕らえられてここに幽閉されましたが、自分を傷つけて、赤痢という伝染病に偽って何十回も厠に通い、結局看守の兵士を疲れさせて、ここから脱出できたという逸話もあります。
草が多い時は少し歩きにくいですが、城マニアの私は前回この草の中で1時間以上もぐるぐる回りました。
山陰地方の城と言ったら、2015年に新しく国宝になった100名城の松江城は見逃せないでしょう。
松江城は関ケ原の戦いの功績により、出雲を与えられた堀尾吉晴によって築かれました。当時築かれた天守は山陰地方で唯一の現存天守です。 お城の中では「新しい」類ですが、やはり素晴らしい建築ですね。
因みに、実は堀尾吉春は愛知県丹羽郡大口町の出身です。(近所の子みたいな感じですね!)
小舟に乗って、築城当時から残された堀川をめぐる「堀川めぐり」も楽しめ方の一つです。
少しアクセスが悪いですが、島根県仁多郡奥出雲町の三沢城は、標高418.5mの要害山山頂にある県史跡です。 ここは尼子十旗の城名の一つ、奥出雲の有力国人領主三沢氏の居城でした。
穴場のお城ですが、遺構が良く残されていて、山頂の景色も良くて、私のとてもお気に入りの城の一つです!
(前回に行った時は落石もあって、ちょっと冒険気味ですが)
山城サミット中でも先生たちの話から何度も出てくる鹿野城は、旧尼子家臣の亀井茲矩のお城として有名です。
私が行った時はあいにくの雨でしたが、晴れる日は日本海まで眺望できます。
また、城周辺の水掘りは公園のように整備されていて、堀に沿って散策するのも楽しみの一つです。
鹿野町の町全体がとても美しいです。
少々遠いですが、100名城の鳥取城もとてもおすすめです。
ここは羽柴秀吉による兵糧攻めの「鳥取の飢え殺し」の舞台として有名です。悲惨すぎるエピソードですが、興味がある方はぜひ調べてみてください。
ここの見どころの一つは、やはりこの日本唯一の丸石垣ですね!
頂上の山上ノ丸天守台から見る景色も最高です。晴れの日は鳥取砂丘まで見えます。
前回は30度の天気且つおしゃれな恰好で登ったので、結構しんどかったです。動きやすい服装がおすすめですね。
山陰地方のお城の中で、一番おすすめしたいのは鳥取県八頭郡若桜町の若桜鬼ヶ城です。
続100名城に選ばれている若桜鬼ヶ城は、鳥取城や鹿野城とともに因幡三名城と呼ばれています。
車でも頂上付近まで行けますが、麓から登ると、山城の醍醐味を実感できます。所々石垣がきれいに残されています。
(写真の右側のような少々細くて険しい...転落したら人生が終わる道もありますので、登山靴で行きましょう。)
若桜鬼ヶ城は播磨・但馬両国に通じる街道の結節点に位置していて、頂上から、この「要塞の地」の地形もよく見れますね。
戦国時代に尼子・毛利・織田など有力大名がここで争奪戦を繰り広げ、山中鹿介が尼子再興の時に城主になったこともあります。
また、若桜のまち並みも美しくて印象的ですので、城から降りたらぜひ散策してみてください。
以上はおすすめのお城の一部だけですが、山陰の魅力は数え切れないほどあり、 晴れる日や雨の日、そして季節が変わると、違う表情があるので、何度行っても物足りないですね。
今度機会があったら、やはり桜の時期と紅葉の時期に行ってみたいと思います!
▼この記事を書いたひと
R&Dセンター 陸 依柳
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