近年歴女の中で大人気になった石田三成。
豊臣政権の五奉行の一人であり、関ケ原の戦いでは毛利輝元など諸大名と共に西軍を組織しましたが、徳川家康に負けた悲劇な武将です。
私は数年前から「石田三成公友の会」という会に入っています。
石田三成公の功績顕彰をしている!ほど大層なことはしていないですが、毎年6月に石田三成関連のツアーに参加したり、11月の石田三成祭のイベントを手伝ったりしています。
長浜の石田町は私にとって第二の実家のような場所です。
ちょうど今年のツアーも終わりましたので、今回は石田三成の堅い歴史の話ではなく、全国の三成に関連しているスポットをまとめました。聖地巡礼の前にぜひ参考してください。
石田三成が生まれた屋敷跡に立つ石田会館です。三成像や三成の生涯を描いた絵巻パネルも展示されています。
三成ファンなら一度行くべき「本拠地」みたいなものです。
石田会館の近くでは産湯に使われたという井戸もあります。
石田三成と羽柴秀吉の出会いの地とされています。「三献の茶」のストーリーはここだそうです。
三成が秀吉に献じたお茶の水を汲んだとされる古井戸も残っています。
駅前にある羽柴秀吉と石田三成の「秀吉と佐吉 出会いの像」です。
羽柴秀吉と柴田勝家の戦いでしたが、文治派の石田三成は、軍勢の物資輸送・兵站支援のような裏方業で大活躍でした。
ハイキングにちょうどいい距離ですし、リフトもありますから登りやすい山です。
忍城を石田三成らが攻めた時に、水攻めのために忍城の周囲を総延長28kmに渡って堤を築きました。
忍城攻め時石田三成の陣が張られたところです。
石田三成の城佐和山城です。「治部少に過ぎたるもの二つあり。島の左近と佐和山の城」という有名なセリフがあります。
石田三成さんの居城である佐和山城の麓のお寺です。
井伊家の菩提寺ですが、中には三成の銅像があります。
石田三成と直接的な関係があるとは言えないですが、佐和山城に入城した徳川家の重臣井伊家が佐和山城をに破壊し、石垣などを彦根城の築城に再利用したとみられています。
井伊家に縁の深い寺院ですが、ここの表門は「赤門」とも呼ばれ、慶長8年(1603年)に佐和山城の大手門を移築したものと言われています。
又、本堂には石田三成と関係が深かった瑞岳寺が所有していた三成の念持仏(千体仏)と地蔵菩薩像(石田地蔵尊)が保管されています。
文禄・慶長の役の「唐入り」の侵攻拠点となった城の所には、石田三成の陣跡があります。(とはいえ、遠い山の上にあるので、私が行った時は時間の関係で眺めただけです。)
豊臣期の伏見城の近くには大名屋敷がたくさんありました。今も地名に数多く残っています。
もちろん石田三成の屋敷跡もありましたが、見どころがほとんど残されていません。
下屋敷跡は治部町の西丹波橋の西南付近に、上屋敷跡は桃山町治部少丸(伏見桃山城三の丸の西)にありました。
米原市世継の春日神社には石田三成お手植えの藤があります。
三成が美濃(岐阜県)へと出立する前に、ここで戦勝祈願の記念にとして植えたそうです。
関ヶ原の戦いにおける石田三成ら西軍の本拠地として使われました。
関ヶ原の戦いの「決戦地」の北西に位置する小さな山です。ここに石田三成が島左近と共に布陣しました。
敗戦後、石田三成の逃走ルートは諸説あります。
一説では、三成は伊吹山から相川山→春日村→新穂峠→姉川→曲谷(滋賀県米原市)→七廻り峠(滋賀県長浜市鍛冶屋町)→草野谷(滋賀県長浜市草野)→高時川の上流→古橋 に逃げたそうです。
いずれにしても、伊吹山に逃げたことは間違いないようです。
石田三成が関ヶ原の戦いに敗れた後、逃亡し、隠れていたと岩窟です。長浜市木之本町古橋にあります。
最近注目され始めたマイナーのスポットですが、何年前に行く時は道が分かりにくかったですので、ツアーがおすすめです。
長浜市木之本町古橋のオトチの洞穴の近くに、石田三成の母に所縁のある法華寺三珠院があります。
山の中の石垣が立派な城郭寺院のため、三成は敗戦後にここに目指して逃亡し、再起を考えたではないかという説もあります。
また、ここは三成が小さい時の三献茶の舞台だと主張する学者もいます。
関ヶ原の合戦の後、捕らえられた石田三成が京へ護送される際、このイチョウの木につながれ、休息をとったという伝説が残されています。
石田三成の辞世の句
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」
その中の「筑摩江」という琵琶湖第二の内湖が干拓前に筑摩神社の裏手一帯にありました。
因みに、近くで地名として残されている「米原市朝妻筑摩」があります。 その朝妻湊は古代から湖上交通の要港で、秀吉が京の大仏殿建立の際や、尾張や美濃から木材を運搬した際も使ったそうです。
平安時代からあった京の処刑所です。関ヶ原の戦いにおける石田三成・小西行長・安国寺恵瓊はここで処刑されました。また、処刑された者は三条大橋に晒されたそうです。
石田三成のお墓がここにあります。現在三玄院は非公開であるため、中に入って拝観はできません。
石田三成が父・正継の菩提所として創建しました。三成嫡男である重家も関ヶ原の戦いの後にここに出家し、名を済院宗享にしました。
ここも一般公開されていないため、訪問前の問合せが必要です。
石田屋敷の近くです。ここの八幡神社裏にある石田神社には、石田三成一族供養塔があります。
真言密教である高野山「奥の院」の約2kmの参道には、名だたる戦国武将の墓などが多数点在します。その中に石田三成のお墓もあります。
彦根城の近くに、城下町のイメージで復元された白壁と黒格子の町屋風の商店街です。ここの夢京橋あかり館をはじめ、石田三成関連のグッズを取扱っている店が点在されています。
彦根の花しょうぶ通りにある街の駅です。「戦国丸」など石田三成関連のグッズを販売しているお店もあります。
滋賀県では石田三成関連の飲食やグッズも最近多いです。ここには記載していませんが、期間限定のものもあります。おすすめしたいのは近江タクシーが運営している「戦国無双タクシー」と彦根市のホテルサンルートの「石田三成"義"の部屋」です。
歴史ファンにとっては魅力的な体験でしょう。
残されているものがそれほど多くないですが、近年だんだん正当に評価されてきている石田三成のゆかりの地、一度巡ってみませんか。
また、毎年11月第一日曜日に、長浜の石田町には「石田三成祭」が開催されますので、ご興味がありましたらぜひお越しください。
▼この記事を書いたひと
R&Dセンター 陸 依柳
撮影、お城、戦国、ICT、サブカルチャー...常に面白く、新しいものに惹かれるタイプです。地方の戦国イベントによく参加しています☆
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