社員がゆく養老改元1300年の取材に行きました

養老改元1300年の取材に行きました

2017年は養老改元1300年を迎えます。

西暦717年に、養老を訪ねた元正天皇が当地の美泉に関心を持ち、更に中国の伝承や吉事の記録書を引用し、 『醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし』との詔を出し、 「養老」に改元されました。

ご存知でない方も多いですが、元正天皇は「女性天皇」です。日本の女帝としては5人目であるが、結婚経験は無く、36歳まで独身で即位した初めての女性天皇でした。

日本の古代に6人、8代の女性天皇が存在しました。六世紀末から八世紀末後半まで約200年の間の半分は女性天皇が統治していました。ただ、この中で女性が二代続いたのは元明天皇と元正天皇の時だけで、しかも、この二人は母娘でした。

当時の首皇子が若干15歳ですので、「中継ぎ」として即位したと言われますが、元正天皇は聡明なお方であったようで、産業の発展に重きを置き、それまでの水田だけではなく、畑の開墾も推奨し、稲とともに麦の耕作にも力を注いで、 更に「養老律令」の撰修や,三世一身法の発布などが行われ、男性天皇に負けない政治的安定を作り上げ、奈良文化を発展させました。

『続日本紀』にある元明天皇譲位の際の詔には「天の縦せる寛仁、沈静婉レンにして、華夏載せ佇り」とあり「慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい」と記されています。
その美貌な女帝が気になる美泉は一体どんなものなのか、今日は現地に行ってみたいと思います。

「コラム|養老改元1300年祭」のサイトはこちら

養老町役場に入りまして、目の前には鈴木ちなみさんが演じる元正天皇のポスター!美貌な女帝のイメージですね。(因みに、鈴木ちなみさんは岐阜県出身だそうです。)

養老改元1300祭は2017年3月20日~12月23日で、役場内でもカウントダウンしています。盛大なイベントの感じですね。
また、お祭りに合わせて、『養老「まちの宝もの46選」』というパンフレットも作りました。後世に守り伝えたい46の宝ものがそこに書かれています。

今回は、養老改元1300年祭のコラムの作者である、土偶世界で有名な譽田 亜紀子先生と同行して、ここで取材を行いました。

歴史コラムの作者と普通のライターさんの一番違いは、歴史に対する考証の深さです。今回は教育委員会の学芸員さんに様々なお話を聞いていきます。
岐阜県出身の譽田先生は、美人で歳も元正天皇に近く、果たして今回の旅でどんな気分になるでしょう。

様々な資料や文献をいただきながら、孝子伝説の話も聞きました。

親孝行な息子「源丞内」が山中に薪を採りに行くと、石の間から本当のお酒が湧き出ていたというお話です。息子はこれをひょうたんに汲み、貧しく年老いた酒好きの父に飲ませました。
元正天皇がこの伝説を聞いた後、中国にも霊泉があることを連想し、吉兆に感じて、養老に行幸されて沐浴され、そして改元したそうです。

もっとも、昔中国の「いいことリスト」に、歳をとったら酒を飲むといいという説があります。
私が中国出身で、毎日の夜紹興酒を一杯飲むお爺さんのことを思い出すと、確かにそうだなぁ~っと。

しかし、中国から見ると健康長寿のお酒が、日本の伝説の中で「若返り」の機能がある神聖な水に進化しました。 そして、この古くからの養老伝説と、元正天皇が泉での沐浴で美肌になった伝説とが、相まって、養老の滝となりました。

知らないうちに昼食の時間になりました。たくさんの参考書籍を抱えて、お昼に行きます。
実は養老で歴史のある料亭があります。季節料理 菊亭という所です。

900円のランチはなんというボリュームっ!ついに「ご飯、もう食べられない」と呟きました。

昼食を済ませて、いよいよ養老美泉旅の現地考察が始まります。
養老公園に案内板には、そんなに色々なルートがありますねっ!いつも一番大きい道を歩いていたけど、今回はいつもと違うルートを歩くことになり、ワクワクしています。

まずは孝子伝説の主人公、源丞内の墓に通ります。
供養塔ですが、もしかして、その伝説は本物?!と神秘感が一層強まりますね。

石畳が上まで続いていて、パワースポットの雰囲気です。

昔の古い建物がところどころ残されています。

急に目の前に、綺麗な池と流水がっ!

積雪と冬の澄んだ空気の中で、心まで清らかになる気がします。

ここから暫く歩くと、元正天皇行幸遺跡の石碑に辿り着きます。

実は、元正天皇は6回行幸しましたが、その中717年と718年2回も養老に訪問しました。
2回目はあまり記述がありませんが、頻繁に来た理由は、やはりここのお水に惹かれたのでしょうか。

ちょっと奥のところに、養老公園碑と岡本喜十郎翁顕彰碑があります。

岡本喜十郎は、旅館「千歳楼」のオーナーさんだそうです。青年の頃、養老開発を志し、土地を買い上げ旅館経営を開始、さらに滝の水と元正天皇が沐浴したとされる菊水を使い薬湯経営を始めました。しかし、業績は上がらず志半ばで亡くなってしまいました。
その後、子孫達が経営の合理化を行い、千歳楼は養老公園開発の基盤となりました。

千歳楼は現在も経営を続けています。

千歳楼の近くに、万葉歌碑があります。
聖武天皇は天平12年(740年)養老へ行幸されました。この行幸に同行した大伴東人と大伴家持が元正天皇の養老美泉行幸を思い出し歌を詠みました。

隣のと芭蕉句碑は、美濃派芭門の人達が、養老にふさわしい芭蕉の名句を選んで建立したものと伝えられています。
碑の裏面には、魯松庵の句も刻まれています。魯松庵は、現在の岐阜県大野町に生まれ、生涯を俳句の普及と指導に捧げた人物です。

更に上に行くと、養老神社に着きました。入口で水を汲んでいる町民たちも見かけました。

境内には、今もこんこんと湧いている清水があります。孝子伝説の源丞内が汲んだ伝説の水は、実は2説があります。
1説は養老の滝ですが、もう1説はここの泉です。この湧水は菊水泉と名付けられています。
昭和60年に名水百選の指定になった後、ペットボトルを手に訪れる人が絶えません。

毎年「春分の日」に春を告げる「若水取り」の神事がここで行われます。

元正天皇のことも石碑に記載されています。

譽田先生が水を汲んでみましたっ!とても清らかで、まさに美泉ですね。

湧き水を見た後、山奥の滝に向かいます。まだ積雪が残っています。

養老の滝に到着です!

古来、文人墨客にも親しまれてきた名瀑で、日本の滝百選に選定されています。
高さ30m、幅が約4mあり、岩角を打って流れ落ちる水は清冽で、その雄麗な姿は必見ですね。

因みに、宴会場として有名な「養老乃瀧グループ」がありますが、ここの養老の滝とはまったく関係がありません。昔役場にお問い合わせした人がまれにいたらしいです。

さて、元正天皇が沐浴されたのは、一体菊水泉なのか、養老の滝なのか、どっちでしょうね。

帰り道にいろいろ想像しながら歩いていると、古~い養老サイダーの看板と出会いました。

冬になったらなかなか買えないですが、養老サイダーは今でも人気ですので、今度ぜひ試してみたいですね。

今日の旅の最後に、「養老に面白そうな遺物はないですか?」と聞いたら、養老町の公民館に連れられました。

入口でひょうたんの工芸品がたくさん置いてあります。 ひょうたんは、「孝子物語」にも出たので、今は養老町のシンボルになっているとも言えますね。

そこで見たのは、象鼻山1号古墳の中から出土された石製品です。

この琴字形石製品はどうやって使うの?と聞いたら、なんと、杖の先だそうですっ!かわいらしいですね。

象鼻山1号古墳は象鼻山古墳群の中で唯一前方後方型と呼ばれる形の古墳で、岐阜県では最も古い段階の古墳の一つだそうです。
今は積雪があってなかなか行けないですが、今度行ってみたいですね!

水の都と言えば、大垣市を思い出しますが、実は養老町も全然負けていないです!この美泉は天の恵みですね。
どの季節でも堪能できる養老旅、ぜひ行ってみてください~!

 

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