社員がゆく小田原城総構を散策してきました

小田原城総構を散策してきました

城マニアには良く知られていますが、冬はお城巡りに一番良い季節です。なぜなら草が枯れて、遺構の元の形がよく見えるからです。

先週の三連休は久しぶりに関東の小田原城に行きました。
東京に住んでいた頃、小田原は何度か訪問しました。 特に外国の友人が「日本の城を見たい!」と訪ねて来る時、東京から一番近くて「お城っぽい」城はやはり小田原城です。
江戸城もそこそこ残っていますが、オープン時間が短い上、天守閣がないので、外国人が求める「写真映え」がなかなかできないです。

「小田原でお城を見て、箱根の温泉に向かう」のが、初めて日本に来た外国人によくお薦めするコースですが...一人でゆるりと小田原散策したことは今まで一度もなかったんです。 ちょうど冬の城巡りゴールデンタイムですので、今回は総構目当てで小田原へGO!(自分へのクリスマスプレゼントを兼ねて)

 

今回は、学芸員の佐々木健策先生も特別に案内していただきました。小田原城天守閣をはじめ、お城や戦国時代の専門家です。ドキドキワクワクがたまらないですね~
とは言え、今回のコースはあくまでも「中級編」のレベルで、初心者から見てもすぐわかるようなものです。

朝9時半に、小田原駅東口で集合。ここからも天守閣が少し見えますね。

小田原駅

小田原駅

ここで、最近小田原市が制作した「小田原さんぽ」というアプリをダウンロードしました。
このアプリがあると、旅がもっと楽しくできるとのことです(当社製品ではないです)。

アプリ「小田原さんぽ」

 

「小田原城総構」とは?
豊臣秀吉の攻撃を防ぐために、小田原城の城主である北条氏が作った、城下町を含め全長9kmの防御ラインです。

実はこの総構のおかげで、小田原城は「日本最大級の城郭」になりました。

天正18(1590)年、天下統一を目前にした秀吉が小田原攻めを始めましたが、この防御ラインにより豊臣15万の大軍をもってしても直接攻められず、3ヶ月の持久戦になりました。
兵力の差は歴然、結局北条側は全面降伏しましたが、この総構に手を焼いた秀吉をはじめ、 参陣した武将は後ほど自分の居城にも総構を築きました、その後の城の在り方や都市構造に大きく影響を与えました。

中国の昔の城でもよく石の「城壁」が残されていますが、 小田原のこの総構は周囲の自然地形をよく生かし、堀と土塁の「土」でできたものです。そして、今でもその遺構が確認できます。

また、城の防御ラインの中に城下町を入れたことから、北条氏の民への思いが窺えます。

 

小田原城総構のパンフレットは小田原城のHP 「小田原城総構を歩こう」からダウンロードできますので、行く前にプリントアウトするのがお薦めです。

 

午前篇:小田原城天守閣

午前中はまず小田原城に向かいます。
少々気付きにくいですが、途中に土塁が残っています!

小田原城

消えた水堀も多いものの、残っている水堀が見どころの一つです。
この赤い橋は戦国時代にはなかったものだそうです。

小田原城

ここの石垣は1923年の関東大震災で崩れました。今私たちが見ている石垣は、積み直したものです。
以前よりだいぶ低くなって、威厳が減ったと言われています。

小田原城

 

東口から小田原城に行く時はもっと近いルートもありますが、お城の全体を知りたいなら、大 手門跡経由の「正面入口」から入ったほうが分かりやすいです。
復元された馬出門です。ここから天守閣も少し見えますね。

小田原城

小田原城

この馬出門の北側の石垣に注目です!ここの石垣は、国指定史跡の早川石丁場群で出土した石を転用しました。
早川の石丁場は、江戸城の石垣を作る時石を切り出した石丁場だそうです。要するに、今ここで使われている石が、徳川家が使った相当偉い石だそうです。

小田原城

今でも石を割る際に掘られた穴の「矢穴」が所々に確認できます。

小田原城

復元された枡形の銅門です。関東は土の城が多いのですが、小田原城は主要部を全部石垣で作っています。

小田原城

小田原城

二の丸

枡形にたどって中へ。名前通り、銅門は「銅」で飾られています!

小田原城

銅門に潜ってもう少し中に入ると、二の丸に到着です。
ここは江戸時代小田原藩の行政中心部の御殿がありました。今は何もないですが、アプリのAR機能で見てみると分かりやすいです。

銅門の中は休日限定公開です。北条評定?の模型もありますので飛び込み参加しました。

小田原城

小田原城

SAMURAI館

階段を上ると、小田原城本丸の正門にあたる常盤木門が目の前に現れました。
常盤木門の2階に、新しくできた「SAMURAI館」を少し覗き見にいきました。

小田原駅

まず目に入るのは北条五氏のかっこいいキャラ絵です!
「北条五氏がイケメンになったら絶対モテる」と先日友人とした会話を思い出しました。
(この写真を後ほど友人に送ったら、友人が「かっこいいー!!」とキャーキャーしていました...)

小田原城

展示館の雰囲気もとてもおしゃれで、もはや博物館ではなく「美術館」ですね。

侍の刀や甲冑は戦うものですが、実用性だけではなくちゃんと美意識がこもっています。
「死ぬかもしれないのに、身だしなみにカッコつける」的なものですが...
それらに触れ、サムライの心と魂を理解するのは、この展示館の目的ですっ!

小田原城

小田原城

今風のプロジェクションマッピングもあります。
言葉を通じなくても、サムライの心を感じられますね。

小田原城

今ここでは「甲冑」「忍者」「お姫」の衣裳もレンタルできるので、外国人に大人気だそうです。
値段も安く、写真映えもよしっ!特にこの甲冑は重さまで本物に近くて、戦国気分をたっぷり味わえます。

小田原城

 

小田原城天守閣

次はメインの天守閣に行ってみましょう。

小田原城の天守は歴史上何度も震災で倒壊しましたが、いま目の前のこの天守閣は3代目も天守で、2016年4月に総額9億9400万円をかけて大改修し終わって、生まれ変わったばかりの天守です。

入口には小田原の伝統工芸である箱根寄木細工が作った石垣が迎えています。おしゃれです!

小田原城

小田原城

天守閣の中に小田原城や北条氏に関連する資料が分かりやすく展示されています。

小田原城

外から見ると三重四階の天守ですが、内部は5階になっています。最上階の観光用の高欄廻縁から、周りの地形と景色を一望できます。

伊豆半島も見えます。小田原城が包囲された時、ここの海にも九鬼や長宗我部の水軍が控えていましたね...

小田原城

ここから見た石垣山です。

小田原攻めの時、秀吉はここでお城を作りました。北条氏を驚かせるために、一夜にして築城されたかのように見せて驚かせたことから、 今は「一夜城」と呼ばれていますが、実際は80日かけてしっかりした作った総石垣の城でした。
小田原城の天守閣から見ると結構近いので、本当に気付いていなかったかしら...

石垣山

石垣山

午後に行く小田原城総構もここから少し見えますね。

小田原城総構

 

天守閣から出て、裏には地震で崩落した石垣もたくさん残っています。
自然災害は戦争より恐ろしいです。

小田原城崩落石垣

小田原城崩落石垣

 

田毎そば店

お昼は、お城の近くの「田毎そば店」です。
写真は大根おろしにごまが入っている汁を使う、ざるそばの名物「田毎そば」!

田毎そば

 

午後篇:小田原城総構

午後からはいよいよ本番の小田原城総構っ!...と言いたいところですが、急に雨が降り出したので、近くの清閑亭で雨宿りに行きました。 この清閑亭は黒田長成侯爵の別邸でした。小田原は気候が良いので、昔から多くの大名がここで別邸を持っていたそうです。

2階の座席から相模湾を一望できます。さすが豪邸っ!
この別邸は入場無料ですので、ぜひ立ち寄ってみてください。

清閑亭

近くに土塁があります!
土塁だけではなく、12月末でも、小田原には紅葉がまだまだ残っています。

小田原城総構

小田原城総構

滑らかな坂です。登っていても全然疲れを感じません。
ここからも天守閣が見えます。こんなに高いんですねっ!

小田原城総構

小田原城総構

 

三の丸外郭 新堀土塁

JRの路線に潜り抜け、三の丸外郭新堀土塁<に着きました。ここは三の丸の土塁と外郭の土塁が重なる場所でした。

小田原城総構

ここからの眺望がすばらしく、真鶴方面の海が一望できます。

小田原城総構

小田原城総構

少し歩くと、石垣山城がどんどんはっきり見えるようになりますね。

小田原城総構

 

小峯御鐘ノ台大堀切

この大堀切は、東堀、中堀、西堀の3本からなる戦国時代に構築された空堀です。

東堀

よくパンフレットに掲載された堀です。

普通に写真を撮ると、大きさが全然わからないのですが、いざ人をそこで立ってみたら...
東堀は深さ約12メートル。昔の方面がもっとシャープと言われていますが、今でもなかなか登れない角度ですね。

堀の屈曲なところは、戦国ファンから見るとたまらない魅力ポイントです。

小田原城総構

小田原城総構

中堀

今は普通の道になっていますが、両側の土塁はまだ確認できます。

小田原城総構

西堀

今は一部しか確認できないですが、東堀と違って、中に2重土塁などもあり、面白い(というか、意想外?の)構造になっています。

小田原城総構

ここから降りて、もう少し中に行ってみましょう。

 

稲荷森

目の前には京都の嵐山並の規模の竹林っ!
昔は竹がもっと多く、今は竹を伐採し、だいぶ整備されていると聞きました。
しかし、その竹林のために、昔の地形が今でもちゃんと残されています。

小田原城総構

小田原城総構

上から見るとはっきりわかりますが、堀が曲がっています。これは攻めにくいっ!

小田原城総構

 

山ノ神堀切西

更に前に進むと、4メートルほどの高さの堀が残っています。

小田原城総構

 

山ノ神堀切

この堀切は、谷津丘陵を分断する役割です。

小田原城総構

ここから、小田原城が見えます。

小田原城総構

 

城下張出

横矢がけが四角く張り出したような非常に珍しい構造の場所です。この保存状態に感動しました!
しかし、建物がそのまま建っていてびっくりしますね。

小田原城総構

 

時間の関係で、今回、廻れたのは総構の西側の部分だけです。この総構を見ると、小田原城の「難攻不落」を味わえることと思います。
東側にもまだまだ見どころが残っていますが、どうやらあそこは素人が見てもわからない「上級編」の場所だそうです。
もし興味があったらぜひ地図を参考しながら回ってみてください。

帰りは北条氏政・氏照の墓所に寄りました。
ここで合掌。氏政さま、氏照さま、お疲れ様でしたっ!

北条氏政・氏照の墓所

また、駅前には初代の北条早雲公像もあります。

北条5代の中、3代氏康公が功績が目立つので、一番スポットライト当てていますが、私はやはり一番すごいのは基盤を作った初代だと思いますね。

北条早雲公像

 

最後になりますが...
最近新しくできた小田原城のクリアファイルも天守閣の売店に販売されています。
値段もかなりお得ですので、良かったらぜひゲットしてください。透明なデザインでおしゃれです。

小田原城クリアファイル

 

併せて巡ってみてください

関東一大名の北条氏の関連するお城と言えば、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨、静岡...全国に点在し、数え切れなくなります。
そもそも初代の北条早雲は小田原出身ではなく、岡山県井原市の高越城に生まれ育ちました。
北条ゆかりの城まとめを書きますと、本1冊でも終われないような気がします。

とは言え、もし小田原に旅行に行くなら、合わせて巡ってたことをお薦めするお城をまとめます。

 

石垣山城

敵軍のお城になりますが、小田原攻めを理解するために、ここは見逃せないスポットです。
続・日本100名城にも選ばれた石垣山城は石垣が多く残っているので、城自体も一見する価値があります。
総構え散策後、地理地形を把握した上にここに来ると、戦国の醍醐味を更に実感できると思います。

石垣山城

石垣山城

所在地: 〒250-0021 神奈川県小田原市早川1383−12

 

中山城

小田原城の支城として、北条氏康によって築城された中世の山城です。
日本100名城の一つです。
当時の畝堀や障子堀の構造がきれいに残されており、北条氏独特の城郭の構造を見ることができます。

中山城

中山城

所在地: 〒411-0011 静岡県三島市山中新田410−4

 

韮山城

今度小田原に向かう前に、韮山城に寄りました。 このお城は北条早雲が三十三年間住んだ居城だけではなく、早雲が死去した城でもあります。

関東に進出した早雲が堀越公方・足利茶々丸を攻め滅ぼし、ここを本拠地として小田原城を奪い、北条氏五代の基礎を築きました。
北条氏の居城が小田原城に移った後も、韮山城は伊豆支配の拠点として重要視されました。
今でも曲輪や土塁の跡が残っています。

中山城

中山城

所在地: 〒410-2143 静岡県伊豆の国市韮山438−3

 

私がお城を好きになったのは、北条氏照公が築城した"八王子城"がきっかけでした。ですので北条氏のお城が大好きです。
関東の日本100名城に選ばれるお城の中でも、北条氏ゆかりの城が多いです。もし今度旅する時に北条のお城に出会ったら、小田原城と比較しながら鑑賞するのも楽しみの一つですね。



 ▼この記事を書いたひと

001@2x.png

R&Dセンター
陸 依柳

撮影、お城、戦国、ICT、サブカルチャー...常に面白く、新しいものに惹かれるタイプです。地方の戦国イベントによく参加しています☆


おすすめの関連記事


社員がゆくの最新記事


お問い合わせ

ご意見・ご質問などお気軽にお問い合わせ下さい。
ナカシャクリエイテブ株式会社

●富士見事務所 TEL : 052-228-8733 FAX : 052-323-3337
〒460-0014 愛知県名古屋市中区富士見町13−22 ファミール富士見711  地図
交通部 R&Dセンター

Email:メールでのお問い合わせ