名古屋から電車で約30分間の岡崎市は、江戸幕府を開いた徳川家康のふるさととして知られています。
一級河川の矢作川が流れる岡崎は温暖な気候を有し、旧石器時代から文明が育まれ、自然豊かな名所もたくさんあります。
また、日本人の食卓に欠かせない「味噌」の中の「八丁味噌」もここから生まれました。
もちろん、家康だけではなく、足利氏族である細川氏、仁木氏、戸崎氏、また、鳥居氏、大久保氏、土井氏の発祥地であり、徳川家康の臣下である忍者服部半蔵や、東京青山に名が残る老中青山忠成など、多くの三河武士たちがここから生まれました。
旧三河国のほぼ中央に位置した岡崎は、今でも宿場町の面影が残されています。
今回は花見をしながら、三河武士のふるさとを巡って、その魂を感じましょう。
まず見逃せないのは桜の名所である岡崎城です。
「五万石でも岡崎様は、お城下まで舟が着く」と謡われているように、矢作川と乙川の合流地点にある岡崎は水運の要衝であり、岡崎城はその合流地点にあります。
徳川家康は、この岡崎城で生まれました。「桶狭間の戦い」で織田信長が今川義元を破った後、家康の運命が大きくかわり、この城も家康が今川氏から独立した象徴と言えます。
とはいえ、家康が生まれた時、この城は土でできた城で、石垣も天守もなかったそうです。今とはだいぶ違っていたらしいです。
今の復興天守は、「やはり天守が欲しいっ!」という市民の思いから作られたそうです。
岡崎城の四季はそれぞれの魅力があります。
春の岡崎城は桜の名所でもあり、夏になると緑のオアシスに変身し、秋は紅葉を楽しめ、冬は遺構をよく見ることができます。
今回はちょうど桜が咲いている時に行ったので(まだ満開の前ですが)、小舟で矢作川両岸の桜を鑑賞している人、 屋台で名物を楽しんでる人、桜の写真を撮影する人、ただただ城内で散策している人...平和の時代の賑わいな雰囲気が溢れます。 「城」というより、市民に親しまれる「公園」という呼び方が相応しいですね。
約800本のソメイヨシノが咲き誇る岡崎城は、夜桜の名所としても知られていて、「東海随一」といわれいます。いつか夜に来てみたいです!
岡崎城の面白い所は、城の遺構の上に様々な史跡と施設が共存することです。
城として欠けられない天守から城下町を一望できるだけではなく、 家康公産湯の井戸や二の丸能楽堂など歴史の面影を見れるものもあり、徳川家康を祭神とし本多忠勝を祀る龍城神社もあります。
さらに、博物館の役割を果たしている「三河武士のやかた家康館」や、毎時00分・30分に能を舞い、遺訓を語る家康の人形が登場するからくり時計や、 郷土料理を楽しめる飲食などの「現代施設」もそろっています。
岡崎城の中には、色々な歳の家康像があります。
家康の遺訓は「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」ですが、 ドラマの中に描かれている若い時の家康は、こんなに落ち着いていて、余裕たっぷりではなかったようです。
「家康はいったいどのような人でしょう?」という疑問を抱きながら、ぜひ城中の家康像を探し出して、その顔をのぞいてみてください。 違う歳の違う表情から、この遺訓が人生の経験によるものだと実感できるかもしれません。
岡崎城から西へ八丁(約870m)の八帖村に作られた「八丁味噌」。 現在ここには400年以上造り続けてきた2社の老舗メーカー「まるや八丁味噌」と「カクキュー八丁味噌」が佇んでいます。
昔からよきライバルであるこの2社は伝承された製法で、今でも独特の風味の八丁味噌を造り続けています。
2社の味噌蔵とも無料見学できるので、ぜひ見学し、食べ比べしてみてください。
今回は時間があるので、まるやの見学コースに参加しました!
受付で手続きし終わったら、さっそく蔵に案内されました。
目の前にいきなり現れたのは、直径と高さともに約2メートルの木桶です。
木桶の中に仕込まれた八丁味噌は二夏二冬(まる2年)常温で熟成された味噌です。
(木桶の数は)このぐらいしかないの?と思うかもしれないが、
一つの木桶の中の量は6トンもあり、4人家族が毎日味噌汁を飲む場合、200年以上飲めるそうです。
また、まるやの中には幼少期の秀吉がまだ日吉丸と呼ばれていた頃、ご飯を盗み食いしたのを見つかり、井戸に石を投げ落とし飛び込んだと思わせ逃げたという井戸があります。
八丁味噌は大豆と塩と水しか使われていないので、独特なうまみと栄養があります。家康の75歳までの長寿秘訣も食事だと言われているので、食へのこだわりが岡崎で根付かれていますね。
江戸時代に入ると岡崎藩が立藩され、この地も別格になりました。
家康の位牌が納められた大樹寺、第3代将軍の徳川家光が作られた滝山東照宮や改築した伊賀八幡宮及び六所神社など、国の重要文化財が多数残されています。
文明7年(1475)松平4代親忠が創建したお寺です。今は松平家と徳川家の菩提寺として知られ、境内に徳川歴代将軍の位牌、家康が73歳の時の木像、松平8代の墓があります。
桶狭間の戦いで敗れた家康が逃げ帰って自害しようとしたとき、この寺の住職に思いとどまらされ、その後太平の世を目指して辛抱強く努力した結果、今の泰平の世ができたのです。
寛永18年(1641)徳川三代将軍家光が大樹寺の伽藍の大造営を行う際に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを抱きながら、本堂から三門、総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置しました。
岡崎城と大樹寺を結ぶこの約3㎞の直線は「ビスタライン」と呼ばれ、今でも370年前と同じように天守閣を眺めることができます。
徳川家康によって造営された伊賀八幡宮の一押しの季節は初夏です。庭園には蓮池が2つあり、美しい蓮の花が咲くと仙界のようになります。
伊賀八幡宮は1470年(文明2年)、松平4代親忠が松平家の氏神として子孫繁栄と家運長久を祈願するため遷宮したから始まりました。当初の社殿は既に燃失しましたが、今の社殿は1636年に三代将軍家光が再建したものです。
家康が大きな戦の時に必ず伊賀八幡宮で戦勝祈願を行ったと言われています。 のちほど偉業を残し、三英傑になった家康の一生からみると、その祈りはちゃんと届いたようですね。成功を祈りたい時はこのパワースポットに立ち寄ったら良いことがあるかもしれません。
「六所神社」は、徳川家康(竹千代君)誕生時に産土神として拝礼された神社です。
ここの石段はかつては5万石以上の大名だけが上ることを許されたとい言われています。権威を感じますね。
石段の上は豪華絢爛な楼門。現在の社殿や楼門などは三代将軍徳川家光が造営したものです。
今ここは安産の神様として有名ですが、東岡崎駅から少し歩いたらすぐ着くので、徳川の文化を感じたい方はぜひ寄ってみてください。
滝山寺に行くには、滝山寺三門からがおすすめです。
昔の滝山寺が360坊程あり、広い敷地にあるため、本堂と三門がかなり離れています。
山深い渓谷沿いの道はのんびりの田舎風景です。ゆっくり登っていくと、1300年の歴史がある古刹が現れます。
この三門は岡崎市最古の和様建築物なので、少しでも寺の歴史も感じられますよね。
正保3年(1646年)、この古刹に隣に3代将軍家光が東照宮を創建しました。
日光東照宮・久能山東照宮とともに「日本三東照宮」に数えられます。
本殿と拝殿の間に中門があるのが特徴で、極彩色の東照宮様式で建てられている社殿は徳川家の権勢を語っています。
桜の季節と紅葉の季節には特に美しく、心を落ち着かせる場所です。
岡崎の中心部からは少し離れ、東海道の本宿に「法蔵寺」というお寺がひっそり佇んでいます。
このお寺は徳川家康の祖・松平家の菩提寺であり、家康が幼い時にここで手習いや漢籍などの学問に励んだと伝えられています。
今でも硯箱・硯石・手本・机・墨付小袖・破魔弓など家康幼少期の愛用品が残されています。
桶狭間の合戦後、家康はこの寺に守護不入の特権を与えるなどして優遇し、江戸時代には格式が高いお寺だったのでしょう。
境内には六角堂開運勝利観音・東照権現宮・家康ゆかりの草紙かけ松・おてならい井戸・お手植えの桜などの文化財も多く現存しています。都会に離れているので、とても静かで、時の流れと歴史の風情を感じられる場所です。
寺内の松平家の霊廟の隣には、武田信玄と交戦した三方ヶ原の戦いでなくなった家臣たちを供養する小さな供養塔がたくさん並んでいます。
家康が三方ヶ原の戦いで大敗したけど、家臣を大切に思う気持ちを実感できますね。
三方ヶ原敗戦の悔しさを忘れないように、当時の家康の肖像を描かせた「徳川家康三方ヶ原戦役画像」の石像は岡崎城にも見れます。(岡崎城のパートの最後の写真がそれです)
「慢心の自戒のため、家康自身が描かせ」や「後世が描いた神格化された家康の忿怒の表現」など諸説ありますが、
一度見たらなかなか忘れられない表情なので、歴史に詳しくない友人がそのネタが大好きらしいです。
また、山腹には新撰組隊長近藤勇のものと伝わる首塚もあります。
近藤勇は東京板橋で斬首され、京都三条大橋西に晒された首を同士が持ち出し、ここに運ばれて埋めたらしいです。
幕末好きな人にとっても見逃せないスポットです。
家康が一大名になってから作られた寺社は豪華で、見事が彩色が多く使われていますが、幼い時の寺も城も素朴なイメージですね。
戦国時代の随一の勝者として、まだまだたくさんの歴史やスポットが残されていますので、岡崎の魅力もそれだけではないです。
名古屋でも名古屋城、徳興山建中寺、名古屋東照宮など尾張徳川文化が感じられる場所がありますので、合わせて一緒にめぐって、 徳川家の歴史も面白く感じるでしょう。
※岡崎についてもっと詳しく知りたい方はぜひ岡崎おでかけナビに参考してみてください。
▼この記事を書いたひと
R&Dセンター 陸 依柳
撮影、お城、戦国、ICT、サブカルチャー...常に面白く、新しいものに惹かれるタイプです。地方の戦国イベントによく参加しています☆
●富士見事務所 TEL : 052-228-8733 FAX : 052-323-3337
〒460-0014 愛知県名古屋市中区富士見町13−22 ファミール富士見711 地図
交通部 R&Dセンター